〜カポエイラの簡単な歩み(歴史を踏まえながら)〜

カポエイラの歴史はブラジルの歴史と密接に関わりあっています。その歴史は奴隷貿易が行なわれた時から始まります。
当時ポルトガルの植民地だったブラジルはに、1538年アフリカから始めて黒人が奴隷としてブラジルに連れて来られ、1888年の奴隷制度廃止まで続けられる。
一般的に言われている踊りに見せかけ主人の目を盗んでCapoeiraを練習し、手かせをはめられていた為、足のみで戦っていた。とされているのはこの時期の事を差しているのか、その後の事なのかは分りません。もちろん現在のスタイルと異なっていた事は言うまでもありません。ではどのようなものだったのか、、、、。
ブラジルに連れてこられたアフリカの奴隷たちで多かったのが、アンゴーラ地方の人々で、Capoeiraの原型のような物を、その中のバントゥー族という民族が創ったようです(どんな物かは不明)。
1600年代に入り、奴隷たちが逃亡して出来た集落「キロンボ」と呼ばれる物が各地に出来るようになり、しばしば白人たちを誘き寄せ、倒していたようです。(この時にどのように戦っていたかは不明)
アフリカのアンゴーラ地方南部に伝わる、女性が成人した時に男同士で奪い合うと言う戦いがあるようです。他にも円を作り、その中で2人が踊ると言うものもあり、ブラジルに連れてこられ始めて他民族間の文化が融合し、Capoeiraの原型のような物が創られていったと考えられないでも無い。その中でも有名だったのがキロンボ・ドス・パウマーレス(パルマーレスと呼ばれる集落)の長ズンビとされている。
しかし1694年にパウマーレスは滅ぼされ、1695年11月20日ズンビは死亡。黒人運動で最も活躍したとされたズンビの命日は今でもブラジルで記念日となっている。その後の歴史は1800年代に入り、アフリカの文化、宗教が禁止され、Capoeiraをやっている者に厳しい体罰などの刑を与えていたようです。
文化が禁止であればもちろん踊りも禁止のはずなので、踊りに見せかけカムフラージュしてCapoeiraを練習していたとは思えない。しかしカンドンブレという彼らの宗教儀式は、姿を変えてカムフラージュするように隠れて伝わっており、Capoeiraも同じように伝わっていたのかもしれない。禁止されても密かに伝わっていくと言う姿勢は凄いエネルギーを感じます。自分達の文化を禁止されたからと言って簡単には消し去らない、日本の侍達がそうしたように、同じような事が地球の裏側でも起こっていたのです。
1889年、ブラジルが共和国としてポルトガルから独立を果たす。しかし奴隷たちは職を失い、泥棒になってしまったり、犯罪に手を貸すようになり、Capoeiraは各地で禁止されるようになります。しかし1932年、当時の大統領により大衆文化が解禁され、Capoeiraも届出を出せば教室を開いて良いと言う事になります。
当時Mestre BIMBA(本名Manoel dos Reis Machado1974年死去)により、Capoeiraの初めての教室となる「ルタ・ヘジョナウ・バイーア」と言う名で開く(後にCapoeira Regionalとなる)事になる。その後37年に、Mestre BIMBAが大統領の前でCapoeiraを公開し、それに見せられた大統領は刑法からCapoeira禁止を消し去り、Capoeiraが正当化されました。昭和12年の事です。
現在のCapoeiraのスタイルはこの時期から始まったと言って良いでしょう。Mestre BIMBAは、今までのCapoeiraをより画期的なものにする為、基本を作り、規則を作り、一般大衆に受け入れられるようにシステムを作ったことが認められた一つの理由だったのでしょう。
しかし、一般的に受け入れられたCapoeira Regionalに対して、伝統的なスタイルを守ろうとする動きもあり、当時活躍したのがMestre Pastinha(本名Vicente Ferreira Pastinha1981年死去)であり、Capoeira Regionalと差別化するために、Centro Esportivo de Capoeira Angola と言う教室を開き、後にこのCapoeira Angolaが52年に州政府に認められる。この時のCapoeira Angolaのスタイルが今も殆ど変わらず受け継がれています。その後、1972年にやっと国の格闘技連盟にCapoeiraが正式に認められ、今に至ると言う訳です。
今ではたくさんの流派が存在し、少しずつ違ったスタイルになっています。基本的な楽器を奏で、歌を歌い、皆で輪になり、その中で2人が技を掛け合うと言う形は変わりません。そして日本にも10年程前から徐々に伝わりだし、今では全国に広がりを見せています。



今でも様々な研究がされているようです。最近の歴史は当時を知る長老的なカポエイラ家が知る記憶の中に残されています。ですが、歴史とは人それぞれ違います。これが本物、あれは偽物と言うような議論はその人の考えで、歴史と言うものは過去の物。そう言った論争すら歴史として残されていくに過ぎません。時代とともに、人の生活環境は変化していきます。今のような情報社会で、今後どのように変わっていくかは分かりません。ただ当事者としてこの時代のカポエイラを担ってとは言いすぎかもしれませんが、既にカポエイラの歴史の中に足を踏み入れているわけですから、歴史を踏まえ、真剣に取り組んで行きたいものです。最近の日本国内での出来事ですが、日本カポエイラ連盟と言う団体が出来て、全国的な動きがあるようです。