カポエイラってなんですか?
この質問に今まで何度悩まされたか分かりません。
ですが、私達は学んでいる以上答える義務があります。
ただ、それはその人の考えであったり、勘違いであったり、またその考えや勘違いがそもそもカポエイラなのかもしれません。世を欺くという意味でです。敵をだますにはまず見方からと言うくらいですから。

「カポエイラ」
とは、 
毎朝髭を剃るカミソリのようなもので、刃物でありながら日常の一部であり、使い方でいかようにも用途は変る。」 メストレがこのような事を言っていました。

しかしそれだけではなく、音楽、文化、格闘、護身、遊戯、演舞、語学、歴史と上げだしたらきりが無いほどたくさんの物をカポエイラから学ぶ事が出来る。

16世紀、ブラジルでアフリカから連れて来られた黒人奴隷達により編み出された格闘技を原型としている。
19世紀、2人の偉大なMestreにより、今のスタイルの源流となるものが作られ、時代とともに変化し今に至る。
基本的に皆で輪になり、楽器を奏で、歌を歌い、輪の中で技を競い合い、勝敗よりも相手との調和、融合、そして自由な発想から生まれる即興的要素が組み手を作り上げる醍醐味となる。身体が大きい、力がある事が強さではなく、間を征したり、相手の技を受け流したり、時には技の掛け合いを楽しんだりと、輪の中では二人の息が合い、音楽や歌と融合した時に最高の演舞ができ、同時に高度な攻防が生まれる。その瞬間輪が一つになり、本当の調和になると信じます。「奏・唄・心・技・体」の全てが調和して初めてCapoeiraになるわけであります。
 
先人達の残したCapoeiraを私達は外国人ではありますが、謙虚な気持ちで日々稽古し、日常の生活に溶け込ませ、世に伝える手伝いが出来れば光栄であります。

このように一言で言い表すのは非常に難しい。ではどんな言葉が当てはまるのか、、、、。
切り口は色々である。

ブラジルの格闘技である
これが一番シンプルです。
ですが、
勝ち負けはあるのですか?」「試合はあるのですか?
ここで困ります。
現代、格闘技とは試合があり、勝敗を決めるものというのが常識的になっています。
古来、格闘技とは戦闘術であり、生死を争うものであり、敗北=死である。
カポエイラも当然戦闘術であり、現代のようなスタイルではありませんでした。しかし、時代とともにその必要性は失われ、舞踊的要素が突出してしまい、今では踊りという言葉がよく目につくようになっています。一部の流派では試合をして勝敗を付けていますが、あくまでもそれはその試合用のルールに従っているに過ぎません。
そこで、
勝ち負けは実際あります。ただ、勝敗にこだわるのではなく、相手との調和を目指します。そして力で制するのではなく、分かりやすいのは足払いで転ばせる、投げて背中を着かせる等。分かりにくいものでは、技や間合いを制し、打ち手をなくす、もしくは寸止めで決める等もありますが、審判がいる訳ではないので、その勝敗はゲームをしている者同士が分かればそれで良い。
体が大きければ有利ではなく、小さくて動きが早い方がカポエイラ的には有利といえます。その人それぞれの持ち味を生かせるのもカポエイラの面白い所であります。

ではなんというのが伝わりやすく、納得してもらえるのか。
肉体を使ったチェスと言う場合があるようですが、私はチェスをやった事がありません。なので、
身体を使った将棋のようなもの
で、カポエイラで作る輪=将棋盤で、駒=技という解釈をしてもらえると分かりやすいように思えます。
年齢、性別の壁を越え、己の肉体、頭脳を駆使し、そこで最高の自分を表現する。ただ勝つのではなく、そのゲームの流れ、攻防が美しいく、さらに無駄が無い。その為には熟練が必要であり、研ぎ澄まされた技、読みがゲームを支配していく。将棋には色々な守りの型があり、攻めの型もある。シンプルなものから複雑なものまで。
相手の裏をかき、隙を誘い、追い詰めてまいったと言わせる。

人生である
こう答えてみるのも良いと思います。ただ、その後にしっかりとした哲学を持って説明出来ないと口ばっかりだと思われますので気をつけて。

ダイエット
・・・・・まあいいでしょう。

注)ここでは個人的解釈を簡単に述べています。あくまでも分かりやすく説明する為の例えなので、私個人としては、音楽と融合した格闘技で、日本の合気道のように試合は無く、Rodaと呼ばれる輪の中で技を掛け合い、身体を通して相手との調和、対話を競い合います。そのRoda(輪)は人生と同じで、楽しい時もあれば苦しい時もある。そこであらゆるものを学べます。あなたもその輪に入ってみれば分かります。何かを感じるはずです。
って答える気がします。今はですが、、、、、。

2007/4/8